円応寺について

正式名称
引地山 成就院 圓應寺(円応寺)
ひきじさん じょうじゅいん えんのうじ

奈良県桜井市の長谷寺を総本山とする、真言宗豊山派に属する寺院です。

1533年(天文2年)に宥慶法印により開創され、元は香取市牧野の観福寺の末寺でありました。

左手観音堂に安置されている本尊は十一面観世音菩薩。

奈良時代の僧である行基菩薩の御作と伝えられており、安産・子育ての観音様として近隣の人々からの信仰を集めていました。平時は秘仏となっており拝観することはできません。

正面の本堂(庫裡)には真言宗の御本尊である大日如来。

その左右には真言宗の開祖であります弘法大師空海と、中興の祖であります興教大師覚鑁の像がございます。毎年4月に行われている、弘法大師巡礼行事であります「札打ち」の際に、両大師の御開帳をしております。

現住職で25代目となり、約50軒のお檀家さんに日々支えられております。

住職は観福寺に勤めに出ているため不在が多いですが、是非お気軽にご参拝ください。

合掌。

住職挨拶

当山HPをご覧いただきありがとうございます。

住職を務めさせていただいております髙岡進雅と申します。
平成2年生まれのAB型 午年、ゆとり世代真っただ中でございます。

平成23年の「東日本大震災」と年を同じくして、8月に副住職の父が、11月には住職の祖父が相次いで亡くなり、悲しむ間もなく私は圓應寺の第25世住職を拝命いたしました。

当時の私はまだ大学生。東京西巣鴨の大正大学で真言宗の教義を学びつつも、僧侶になるという運命に抗うかの如く、自堕落でどうしようもない大学生活を送っておりました。

入院していた父と高齢の祖父、心のどこかでもう長くはないとわかってはいたものの、現実逃避をしていた私は急な事実を受け入れられず、どうすればいいのかわからず途方に暮れていました。

そんな時に助けてくれたのが周りの方々でした。

近隣の法類住職、僧侶の方々、お檀家さん、たくさんの方の助けがあり、そして慣れない私に代わって母が寺務のほとんどをやり繰りしてくれました。

平成25年に大正大学を卒業、現在は香取市牧野の観福寺にお勤めしながらの兼業?の日々を送っております。
私のような若輩者に対して皆様の支えがあったのは、長年お寺を守ってきた父と祖父のおかげだったと思います。
次は私が周りの方々へ恩返しをする時だと思い、日々のお勤めをしております。
今後とも歴代住職に恥じぬよう、先代の法灯を受け継ぎ精進してまいります。​

合掌。

円応寺のビジョン

円…遍く広く全ての人々の
応…求めに応じる、答える

円応寺という名前の意味を私はこう解釈しています。
円応寺はお檀家さん以外にも、お寺を必要としている方や困っている方々の力になりたいと思っています。
様々な活動を通じて、今まで頼ってばかりだったお檀家さんに何か価値を還元できるお寺になりたい。
先祖の心の拠り所であったお寺の経営を立て直し守り抜いていきたい。


現在、円応寺からの給料だけでは我々寺族は食べていけないので、普段は他のお寺へ勤めに出て給料をいただいて生活しているのが現状です。
しかしこの生活を続けていては、円応寺はいつまでたってもこのまま。
それどころか、ただでさえ少ない檀家数は、人口減少、少子高齢化の影響もあり更に減っていきます。
そうなると、いつか私がいなくなった後は、そんなお寺の住職になりたいという僧侶はおらず、いつかは廃寺、もしくは他のお寺との統合は免れないでしょう。
私で25代目、約500年間大切に守られてきたお寺をここで潰してしまって良いわけがありません。


だからと言って、既存のお檀家さんからのお布施を値上げするわけにはいきません。
本来無理のない範囲で気持ちを表すのがお布施であり、高額な額を強要するものでは無いのです。

平成6年には本堂、平成16年には観音堂を建て直しました。
地元のお檀家さんの協力がなければできなかったことです。
お檀家さんのおかげで円応寺は潰れることなく今こうして残っている。
そのお檀家さんに対してこれからは円応寺が恩返しをしなければいけません。

円応寺のビジョン
・遍く衆生の心の拠り所となるお寺
・既存の檀家さんからのお布施に頼らないお寺
・衆生のニーズに応え、様々な価値を還元できるお寺

​学生の頃知り合ったとある経営者が「100年続く企業をつくる」と言っていました。
私は1000年続くお寺を作ります。

令和5年10月16日 第25世住職 髙岡進雅 合掌